私にとって片づけは、単に家をきれいにするためのものではありませんでした。
自分の好きなものが分からなかった私が、「私はこれが好き」「私はこれを選びたい」と思えるようになったきっかけの一つです。
でも、そんな大好きだった片づけにハマりすぎて、家族に迷惑をかけたり、「もっと片づけなきゃ」と自分自身が苦しくなった時期もありました。
そして最後には、片づけを「卒業」することになります。
これは、10年以上にわたる、私と片づけのお話です。
自分の「好き」が分からなかった20代
私が「ときめきの片づけ」に出会ったのは、20代後半のころでした。
当時の私は、自分の好きなことや好きなものが、よく分かっていませんでした。
趣味もなくて、「趣味を探してます(笑)」なんて、しょっちゅう言っていました。
持ち物も、「安いから」「流行っているから」という理由で買ったものがたくさん。
洋服はいっぱい持っているのに、「着る服がない!」と毎朝慌てる。
家の中も物であふれて雑然としていたのですが、そのことにすら、あまり気づいていませんでした。
そんなときに出会ったのが、「ときめき」を基準に残すものを選ぶ片づけでした。
私が実践したのは、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』です。
私にとって、その後の暮らしや「自分で選ぶ」という感覚にもつながっていった一冊でした。
「捨てる」ではなく、「残したいもの」を選ぶ
私が一番衝撃を受けたのは、
捨てるものではなく、残すものにフォーカスする
という考え方でした。
「これはいらないから捨てる」ではなく、
「私はこれを残したい」
「これは好き」
という基準で選ぶ。
それまでの私には、そんな発想がありませんでした。
本を買ってすぐに実践し、私はあっという間に片づけにハマりました。
そして、ときめくものを選んで残していくうちに、少しずつ自分の「好き」が見えるようになってきました。
自分が選んだ好きなものが家の中に増えていく。
すると不思議なことに、物以外についても「私はこれが好き」が少しずつ分かるようになっていきました。
いけばなも、洋服も。自分の「好き」が広がっていった
片づけて少しスッキリした家を見て、「ここにお花を飾りたいな」と思ったことが、いけばなを始めたきっかけの一つでした。
軽い気持ちで始めたいけばなは、やがて私にとって大切な「好き」の一つになりました。

洋服についても同じです。
大量に持っていた服を見直して、お気に入りを残したことで、
「私はどんな服が好きなんだろう?」
と考えるようになりました。
そこからパーソナルカラーや骨格診断にも興味が広がっていきました。
でも、自分の好きな服が分かることと、それを実際に「着る」と選べることは、私にとって少し別の話でした。
「着たい服を着る」ことについては、こちらの記事でも書いています。

片づけをきっかけに、私は少しずつ自分のことを知っていったのだと思います。
「これでいい」ではなく、「これがいい」。
自分の好きなものが分からず、「自分がない」ように感じていた私にとって、自分の基準で何かを選べるようになることは、とても嬉しいことでした。
ところが、片づけにハマりすぎた
ここまでなら、「片づけで人生が変わりました!」という、とてもきれいなお話です。
でも、そう簡単には終わりませんでした。
ときめきの片づけにドハマりした私は、家族や友人にもすすめまくるようになりました。
実家では母に本を渡して、
「家、散らかってるんだからやった方がいいよ!」
母から「新しい洋服を買おうと思ってるんだけど」と相談されても、
「まず手持ちの服を全部出して、見直してからじゃない?」
と偉そうにアドバイス。
自宅では夫の収納場所の前に仁王立ちして、使っていなさそうな古いものを処分させようとする。
今振り返ると、とんでもないですね(笑)。
当然、家族はうんざり。
でも当時の私は、
「こんなに素晴らしい方法を教えてあげているのに、なんでやらないの?」
くらいに思っていました。
友人の一言で気づいたこと
そんなある日、友人にいつものように、
「片づけしたら、自分の好きなものが分かるようになるんやで。すごくない?」
と話していたときのこと。
友人が言いました。
「片づけなんかしなくても、自分の好きなもんくらい知ってる。」
「!!!!」
衝撃でした。
でも同時に、ものすごく腹落ちしました。
私にとって片づけが大きな意味を持ったのは、もともと私が「自分の好きなものが分からない」と悩んでいたからです。
でも、みんなが同じことで悩んでいるわけではありません。
私にとって良かった方法が、ほかの人にも必要とは限らない。
当たり前のことなのですが、そのときの私は分かっていませんでした。
それ以来、人に片づけをすすめることはほとんどなくなりました。
「もっと片づけなきゃ」に苦しくなっていった
もう一つ問題がありました。
何度片づけても、私は「全部片づいた!」という感覚になれなかったのです。
最初の片づけで家の中はかなりスッキリしました。
その後、中古マンションを購入してフルリノベーションもして、自宅はどんどんお気に入りの空間になっていきました。

家族や友人も、「素敵なおうちだね」と言ってくれます。
なのに私は、「でも、まだ……」と思っていました。
場所が決まっていない物を見ると気になる。
もっと片づけなきゃ。
不要なら捨てなきゃ。
毎年のように「片づけ祭り」を繰り返し、いつの間にか私は、完璧に片づいた家を追いかけるようになっていました。
より良くしたくて始めたことなのに、その「もっと」が自分を苦しくしていたのです。
仕事を辞めて、また猛烈に片づけ始めた
2021年、私は仕事を辞めました。
仕事で着ていた洋服やヒールの靴を使う機会が一気に減ったので、持ち物を見直すことにしました。
ここまでは自然な流れです。
ところが、そのうち、
「過去とサヨナラして、とっとと新しい自分になりたい!」
という気持ちが強くなっていきました。
必要以上に洋服や靴を捨て、売り、夫から「ちょっとやりすぎなんじゃない?」と心配されるほどに。
でも当時の私は、「やったったー!スッキリしたー!」と思っていました。
私は片づけを「目的外利用」していた
後になって気づきました。
私は、物だけを整理していたのではなかったのだと思います。
- 仕事を辞めたあとの不安。
- 過去へのモヤモヤ。
- これからどうしていくんだろう、という気持ち。
そういう簡単には片づかないものを、物を捨てることで代わりにスッキリさせようとしていたのかもしれません。
私はこれを、自分の中で「片づけの目的外利用」と呼ぶようになりました。
物を捨てれば、目の前から物はなくなります。
部屋もスッキリする。
気持ちまでリセットできたような感覚になることもあります。
でも、本当に向き合う必要があるものまで、それでなくなるわけではありません。
10年以上片づけを繰り返してきて、片づけは思っていた以上に「心」とつながっているのかもしれない、と感じるようになりました。
完璧に片づいていないのに、片づけを卒業した
そんな私が、2022年ごろ、長年続けてきた「ときめきの片づけ」を卒業しました。
といっても、
家が完璧に片づいたからではありません。
今でも、出しっぱなしのものはあるし、収納場所に困るものもあります。
それでも卒業できたのは、あるとき、
「私はもう十分、ときめくものの中にいる」と気づいたからでした。
家の中にあるものは、基本的に今の私が選んだもの。
片づいていないものがあるからといって、それをもう一度「ときめく・ときめかない」で選別する必要はありません。
必要なのは、単に置き場所を決めることかもしれない。
収納方法を見直すことかもしれない。
生活が変われば、持ち物も変わる。
物が増えたり、散らかったりすることだってある。
それでいいんだと思えるようになりました。
片づけを通して練習していたのは、「自分で選ぶこと」だった
片づけに出会ったころの私は、自分の好きなものすら、よく分かっていませんでした。
だから、
「これは好き?」
「これは残したい?」
「私はどっちがいい?」
と、物を一つひとつ選ぶことが必要だったのだと思います。
そうやって何度も選んでいるうちに、
「これでいい」ではなく、
「私は、これがいい」
と思えるものが少しずつ増えていきました。
今振り返ると、片づけを通して私が練習していたのは、単に物を捨てることではなく、自分の感覚を確かめて、自分で選ぶことだったのかもしれません。
そして、その感覚は少しずつ、物以外にも広がっていきました。
好きな服を選ぶ。
好きなことをする。
いけばなを続ける。
働き方を考える。
自分の人生について、「私はどうしたい?」と考える。
物を選ぶことから始まった「私はどうしたい?」は、少しずつ人生のいろいろな場面にも広がっていきました。
私にとって「自分の人生を生きる」とは、自分で選び、その選択を引き受けていくことなのだと思っています。

片づけは、そんなふうに自分の人生を自分で選んでいくための、最初の練習だったのかもしれません。
これからも片づける。でも、片づけに縛られない
もちろん、これからも片づけはします。
でも、完璧に片づいた部屋を目指したり、特定の片づけ方法に自分を合わせたりするのではなく、
「今の私は、どう暮らしたい?」
と考えながら、そのときの自分や家族に合う方法を選んでいきたいと思っています。
私に「自分の好き」を教えてくれて、「自分で選ぶ」という感覚を育ててくれた片づけ。
一時期はハマりすぎて苦しくなったことも含めて、私にとっては大切な経験でした。
片づけを卒業した今も、そのとき身につけた「自分で選ぶ」という感覚は、私の中に残っています。

