大したことじゃないねんけど(私は私の気持ちをぞんざいに扱っている)

コーチングな日々

前回の自己基盤の講座で、しんどい渦中の自分に向き合えない。
だってしんどいんだもん。
言っても何も変わらないし。
そんなことを話しました。

今日は、Myコーチのセッション日。
そしてタイムリーにヘロヘロでした。
ダウナーのダウナー。

ある意味、Bestタイミング!!
意を決して、渦中な気持ちを話してみました。

渦中な気持ちを話してみた

結論として、何か気持ちが楽になった!とか、軽くなった!とかは全然ありませんでした。

でも、見えてきたのは、自分の口癖から透けて見える思考、というかあり方の癖。

大したことないねんけど、、
頭ではどうってことないと分かってんねんけど、、

そんな言葉が何度も何度も出てきたとフィードバックをもらいました。

こんなことは大したことない、だから嫌な気持ちはあるけど、人に伝えるほどでもない。
(すごく嫌なことがあったら、言っても良いけど、些細なことは言うほどでもない。そんなことでモヤモヤめそめそするのはかっこ悪いし、いかがなものか)

私は、私の気持ちを雑に扱いすぎているんですね

細やかな嬉しいことがあったら、その嬉しさを人に伝えることに躊躇はしないハズ。
でも、細やかな嫌なことは、その不安や悲しさは人に伝えるほどでもない。と考えて自分の中で飲み込む。

それって、感情のえこひいきですよね。
自分が悲しい、嫌だ、不安だ、そんな気持ちを頭で処理して、ぞんざいに扱ってる。

そんな自分の在り方が少しだけ見えました。

何度も何度も感情のえこひいきをしない、そんな話を聞いてきて納得しているつもりだったけど、やっぱり自分の無意識は違うんだな。
ちょっと、いや、けっこうショックかもしれない。

大したことじゃないねんけど、、

何を得て何を失うのか

私が散々使っていた、大したことじゃないねんけど、の枕詞。
この言葉を使うことは、私にとって意味がある。
この言葉を使うことで、私は得たものと失っているものがある。

それは何なのか?

しばらく、日常の中でそういう瞬間を意識してみようと思います。
本当は内省しようかと思ったけど、私はそういうときに深刻モードになりやすいから、軽く握る程度が良いかもとアドバイスもらったので、自分では軽く握りつつ、考えたいときは人に話す形をとることにしようと思います。

おまけ
このブログは夜に書いています。
明日のことを考えるとちょっと気が重いな。

毎日目の前のことを一生懸命取り組むし、その中で妥協や我慢に気がついたらそこに向き合える勇気をなるべくなるべく持てますように!

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