2週間前、自己基盤の基準の講座でした。
(いつもは早めに記事を書くのですが、今回は沼に入りすぎて、アウトプットが遅くなりました。講座直後の感想と現在考えていることがもはや違っている、、けど、記録のためにアップします。)
この記事ではコーチングプレイスの自己基盤「基準を引き上げる」の講座を受けた私の感想を書いています。
基準を引き上げる
コーチングプレイスの自己基盤講座「基準を引き上げる」が始まりました。
「未完了」、「妥協をやめる」からの3本目です。
コーチングプレイスの自己基盤講座では、20人の受講生がそれぞれ自分の話をシェアし、近藤真樹コーチがフィードバックをするという形式です。
基準を引き上げるって?
そもそも基準を引き上げるって何だろう?
基準を持つなら何となくイメージできるんだけど、上げるって、、?
真樹コーチいわく、
基準が無いから、基準を引き上げるイメージがわかない。
基準が無い人は、まずは基準を持つことが大切。
現時点での私なりの解釈では
自分がどういう存在でありたいか?
(どういうコミュニティにいて、誰と、どういう時間を過ごして、どういう人生を送るのか)
そのなるための選択をするときに、「基準」が働くのかな?と思っています。
例えば人から誘いを受けて、イベントに参加するときに、
有限な自分のリソース(時間・お金・気力・体力)を使うわけです。
そのイベントは自分をなりたい自分に向かわせてくれるのか?(役に立つとかではなく、友人と楽しく過ごすという目線なのであれば、それで選べば良い)
そういうこと選択をできることが、基準を持つということなのかな?と今の時点では思います。
私の基準は?
基準を引き上げるにピンときていないから、私は基準が無いのかも。。
私はどういう存在になりたいのか?
私は何がやりたいのか?
どういう空間にいたいのか?
どういうコミュニティにいたいのか?
そんなことをMyコーチを考えてみようかな。
気になる指摘
実は講座の中で真樹コーチからの気になる指摘をいただきました。
それは“私は人のことを見ていない”というもの。
今は、人のことを見る前に自分の内側の世界に入っているような印象という、、
自分のことに集中するのは好きで得意
反面、人のことを見れていない印象
人のことを見てやっていく必要もあるのでは??
今の状態では、自分の世界のあるもの(いけばな)とかは良いけど、他のこと(コーチングとか)をやっていくときに、尻込みしたり、基準がぶれてしまうのでは?
そんな指摘をいただきました。
実はこの部分、ちょっと分からなくてあとで補足をいただきました。
私は自分の中で目標を立ててやっていくのは得意。
だけど、私の前に他人が入ってきたときに、人からどう見られるのかを気にしたり、気を使ったり、遠慮をしたり、と必要以上にぶれてしまう、ような印象、とのこと。
確かに、、
私はけっこう人に遠慮をしたり、気をつかったり、という部分があるかも。
それは気づかいという部分もありますが、弱気であったり、自己主張をせずに妥協や我慢してしまうということもあったり、、
この世で生きる上で、他者との関わりは必然です。
たぶん私に必要なのは、他人と関わるときの基準を考えることな気がする。
他人との関係性の中で、自分はどんな存在になりたいか?が基準につながるのかな。
ちょっと考えてみよう。
今週の宿題
自己基盤講座では毎回宿題が出ます。それを次回の講座までの1カ月間に自分で考えたり、受講生同士ペアセッションで話したり、Myコーチに話して、頭の中で整理していきます。
今回の全体宿題です。
「自分が自己基盤を扱うことの目的は何ですか」
ちなみに、全体宿題以外に真樹コーチから個別に、宿題ね!と言われたものがあれば、そっちを考えることもあります。
私は今回は全体宿題と、私の基準について(私はどういう存在でいたいのか、何がやりたいのか)について考えようと思います。
ここのところ自己基盤沼中でめっちゃ頭ぐるぐる。
でも、幸せを感じられる自分でいたいから、ちょっとずつでも取り組むぞ~~