友人の推しピアニストさんが演奏をしているということで、友人とチャリティーコンサートに行ってきました。
私は普段あまり音楽を聴きません。
カフェっぽいようなBGMとか、気が向けば邦楽や洋楽を何となく流すくらいかな。
クラッシックもたまに聞くくらいです。
コンサートに行ったことも、人生で数える程度。
だから、今回、未知の世界を楽しみにしていきました。
コンサートは、二部仕立てで、
一部はピアノとヴァイオリンの演奏
二部はピアノのみ
音楽を聴くための時間を過ごして得たこと
普段私は、音楽をBGMとして聴いています。
どれは、何かをしながら音楽を聴くということです。
だから、音楽を聴くための時間を過ごすということは、すごく贅沢で素敵なことだなと思いました。
演奏者を見る
音を楽しむと同時に、普段は見ることのない演奏者が目に入ってきます。
演奏者が、楽器を演奏するのを見るのも、楽しいし、感動するものですね。
一生懸命演奏している様子を見たり、この曲をどういう気もちで演奏しているのかな?と想像したりすると、応援の気もちも湧き上がってきました。
ウトウトするのもまた良し
実は、後半で少しウトウトしました。
以前だったら、申し訳ない、、という気もちになっていた気がします。
が、今回は、ウトウトするほど良い気持ちにさせてくれてありがとうございます、的な感謝の気もちも湧いてきました(笑)
私は、休むのが下手なタイプで、休むときは、休む予定を入れる、くらいのことをして休んでいます。。だから、知らない間にリラックスさせてくれた演奏はとってもありがたいな~と思ったのです。
何やら副交感神経にも良さそうな気がします。
感受性が育っている気がする
今回感じたことがありました。
それは、自分の感受性が育ちつつあるかもしれない?ということです。
一昨年、お花の学校に行きだしてから、いわゆるアートと言うものに触れたときに感じる感覚が変わってきた気がするのです。
以前は、何となくぼんやり見てました。
すごい~キレイ~有名~みたいな。
でも今は、何かが違うのです。
演者の中にある揺れや葛藤、のようなものを感じやすくなった気がします。
だから、上手くないけど良い絵だなぁみたいなことを感じることもあります。逆に技巧的だけど平たいな~みたいな感想を持つこともあります。
表現するその先にあるものは何だろう?
こういう感覚は、以前は持っていなかった気がします。お花自体は、お稽古時代が7年くらいありましたが、その時はこういう感覚はありませんでした。
そういう感覚を自分の人生に取り込めたことが、幸せだな~と思います。
アーティストトークは面白い
コンサートの帰りは友人とアーティストトーク(自分が音楽やお花について普段考えていることを語り合うこと)で盛り上がりました。
彼女はピアノを弾くのですが、経験や思うことに、お花と共通点もたくさんあってすごく楽しい時間でした。
もはや好きとか楽しいとかそういう段階を超えてしまったかもしれないことと、どう付き合っていきたいのか。でも、こういう話ができる友人がいれば、きっとずっと付き合っていけるのかな。
そして、技術も気もちも凸凹だらけ。でもきっと凸凹があるから、輝くのかもしれない。
そんなことも思いました。