お花を学び始めて10年目、
京都の学校へスクーリングを始めて3年目になります。
楽しむ、を手放したら楽になった
私にとって、お花はずっと楽しいものでした。
でも、京都の学校に行き始めてから、お花が楽しくなくなりました。
正確に言うと、
楽しいときもある。けど、悔しい、悩む、息詰まる、自信なくなる、といったことが増えました。
楽しいだけではなくなりました。
お花を楽しめていない自分が嫌でした。
なんで趣味の延長(職業としたいか?それも曖昧。)のものに苦しんでいるんだろう?
何のためにやっているんだろう?
前は楽しかったのに、、
楽しそうにやっていて(ように見える)、それでいて、上達している仲間が羨ましい。(←→反面、自分はもんもんと暗く一生懸命やっているのに上達は遅く、納得できる花も生けられず、客観的な評価である成績も良くない)
楽しみたい、でも楽しくない。。
何で何で、、∞
そんなループを繰り返していました。
でも、先日ふと、「楽しむを諦める」と決めたら、案外スッキリしました。
楽しむ、がゴールではないから
(仕事でも趣味でも勉強でも)何かに一生懸命に向き合うとき、
楽しいときもあれば、しんどい、悲しい、悔しい、そんなこともあります。
そういうものを全部ひっくるめて、充実というのかもしれないな、と。
思えば、楽しむということに囚われていたのかもしれません。
楽しんで続けるってすごく素敵なことだし、それを目指したくなります。
だから、そうじゃないときに、何で自分は(他の人みたいに)楽しめないんだろう?と思ってしまうことがあります。
でも、何かを目指して進んでいるときに、楽しむ、楽しまないで悩むこと自体が、本筋ではないなと思ったんですよね。
楽しむがゴールではないから。
楽しいはその過程で生じればラッキーなもので、たくさん発生すると嬉しいし、自分を心地よい状態にもっていく工夫は必要だけど、楽しまなきゃ!!と思うものではないですよね。
私は自分で自由にお花を生けられるくらいの実力が欲しいです。
その過程をできるだけ、先生や仲間と楽しくやれれば良いなと思っています。
でも、「楽しいはゴールではない」から、楽しくないときがあっても仕方ないし、そういう瞬間も受け入れます。
楽しむ、をいったん手放す。
そう決めたら、少し気持ちが楽になったな。
次回のお花の学校は10月です。
できていないことばかり見えて心配だし不安。
今からできることをやるしかない。いつも、それだけ。