オーディブルで耳読を始めて1カ月、もしかしてもしかして、、、
“いつか時間ができたら読もう”と思っていた本が聴けてしまうのでは?と気がつきました。
ソクラテスの弁明とS先生
いつか時間ができたらシリーズの記念すべき第一冊は(次がある?)、
ソクラテスの弁明・クリトン です。
中学3年生の学級通信がきっかけ
実は、この本、数年前から読もうと思っていました。
きっかけは、中学校3年生のときの担任の先生が発行してくれていた学級通信。
実家の元自分の部屋を片付けていたとき、発見しました。
この学級通信の中に、読書の秋、「ソクラテスの弁明」の紹介がありました。当時岩波文庫創刊70周年での忘れ得ぬ一冊という冊子が発行されていたようで、その中の一説とともに紹介されていました。
発見するまでそんなことはすっかり忘れていましたが、発見したら、S先生らしいな~と懐かしさがこみあげてきました。
私は、当時、反抗期真っ只中、劣等コンプレックスこじらせまくりで、勉強しない、遅刻ざんまい、服装の乱れ(懐かしのルーズソックスとか!)、そんな中学校3年生でした。だから、S先生が伝えようとしてくれたたくさんのことを、受けとめられない子どもでした。
今思うともったいない、申し訳ない、恥ずかしい、そんな言葉が浮かびます。でも、そんな私でしたが、S先生のことが実は大好きだったので、学級通信を取っておいたんですね。
数年前に、それを発見して、そのうち読みたいな~と考えていたのでした。
私たちはなぜ勉強するのか?
中学3年生になぜソクラテスの弁明なのか?
それは、当時私たちが頻繁に「なんで勉強しなきゃいけないのか?」と言っていたからだと思います。
岩波文庫創刊70周年の忘れ得ぬ一冊の中で、60代の元教員の方が、ご自身の中学3年生のときの担任との問答とソクラテスの弁明について語っています。その文面とともに紹介することで、同じ中学3年生だった私たち自身に、その問いを考えてもらいたいと考えたのかなと今では思います。(当時は、全く耳に入っていませんでした、、)
単純に 無知の知 を知れということではなく、いつの時代もそういう問いを持って、自分で考えて、自分で見出していく。そういうことが大切だよと伝えたかったのかもしれません。
では、ざっくり感想です。
ソクラテスの弁明・クリトン
この本は青少年を堕落させたなどの罪で訴えられたソクラテスが、法廷で自己を弁明するシーンから始まります。
耳読をしていると、、、
なんと、まるでソクラテスに語りかけられているようです!!!
紀元前の哲人が自分の横で語りかけてくれるのです!これはすごい。
本著自体が、ほぼ裁判シーンで構成されているので、まるでソクラテス役俳優さんの一人芝居を聞いているようなのです。
これは想像していなかったので、予想外の嬉しい臨場感でした。
内容そのものについては、私は、ソクラテスの行動には少し共感しかねる部分があります。
私の認識としては、あらゆる分野で賢者とされる人のところに訪ねて行って問答を繰り返し、さして賢くない人と判断しつつも、自分が無知であることを知っている自分の方が賢い、的な、、
そりゃ恨まれるんじゃないかな。。と思ってみたり。
でも、いかに自分が物を知らないかということを自覚しておくことが、すごく大切ということは、紀元前から続く永遠のテーマなんですね。
つい分かった気になってすぐに奢ってしまうけど、そういうときは、無知の知を思い出そう。
いつか時間ができたら
いつか時間ができたら、、ってよく言ってませんか?
私もずっと言っていました。
仕事していたころは、仕事に余裕ができたら、
仕事辞めてから今の状況になったら、少し落ち着いたら、、
そうこうするうちに、年月はあっという間に流れます。
いつかのいつかは、永遠にこないのです。
だから、ちょっと便利な仕組みを使って、やってみたいことを試すことができると良いですよね。
私は、耳読を楽しんでいたけれど、岩波文庫のような本は、座って真面目に読むべきもの、という思い込みがあったようです。
でも、やってみると、思った形とは違うけれど、案外良いものだなと思いました。
聴いてみて、やはり文字の余韻を楽しみたいと思えば、目で読めば良いのです。
しばし、いつかシリーズ楽しんでみようと思ってます。
ちなみに今は新渡戸稲造の武士道(日本語訳)聞いていますが、レビューはたぶんできません。理由は難しいから。。
最後 S先生へ
お元気ですか。
私たちが卒業したとき、先生が学校を去ることが寂しかったです。そのまま高校でもお世話になれると思っていたから。不出来な私(たち)にうんざりしたのかなと思って寂しかったです。
でも、大人になって考えると、あの時の先生は勇気をもって自分の夢を選ばれたんだなと思うようになりました。
先生の 目的合理的に行動しろ という言葉、いまだに良く分かっていませんが、、(もしかするとウェーバーの目的合理的行為からくるものなのでしょうか、、)少なくとも当時よりは目的意識をもって行動できるようになっていると思います。
先生が最後に書いてくれた「うまくじゃなくて、美しく、良く生きるために、頑張れ!」という言葉、今見てもすごく嬉しいです。
先生がこの地球のどこかでお元気だったら嬉しいな。そして会うことができたらもっと素敵だな~(でも嫌そうな顔が目に浮かびますね(笑))