環境要因はとても大きい
昨日のリアルな日々で、今、リアルが楽しく感じらるのは、そもそもの土台(環境や人間関係)が整っているからと書きました。
環境要因について、最近、考える機会があったので書いておきます。
それは、あなただけの努力や能力ですか?
私たちは、職場や学校での自分の成功体験(そこそこ上手くやってこれたこと)を自分の努力や実力と考えがちだと思います。
もちろん、自分の努力や能力は当然関係あります。
けれども、環境要因もとても大きいと感じます。
上手くやれたときは、環境(人間関係や仕事の状態)が整っていたからこそできている部分は大きいと思います。
たまたま、選んだ仕事や、移動先が環境が整わない状態だった。(人間関係ボロボロ、仕事もむちゃくちゃ)
運悪く、こういう環境になってしまったら、良い感じで続けていくことは難しいです。続けられないのは当たり前の部分もあるにも関わらず、その人自身の能力に問題があるように捉えられることもあると思います。
一度そうなってしまったら、私たちの気もちは傷つくし、リカバリーをするのが難しいこともあります。(それが、身近なコミュニティだったり、幼いころからの環境だったらなおさらです)
自分の体験を振り返っても
自分自身を振り返っても、上手くできたときは、環境が整っていたときです。
人間関係が整って、安心できているから、失敗しても大丈夫と思えて挑戦できるし、不安なことは相談できていました。結果、いろんなことが好循環で回っていました。
逆に、上手くいっていないときは、環境が整っていないときでした。
人間関係がぎこちなく、相談もできず、少しの失敗を許されない環境でいると萎縮して何もできなくなりました。私はそういう環境に置かれることが少なかったので(ある意味幸せなことですね)、去年、そういう環境にいることで、初め戸惑って悩みましたが、最終的には逃げ出しました。
自分自身の努力や取り組み方で変えられる部分もあるかもしれませんが、そうでもない時もあると思った体験でした。
何が言いたいのか
上手くやれていることについては、環境に感謝できる人間でありたいし、
しんどい環境にいる人には理解を示して、できることがあれば手伝える人間でありたい、ということです。
少なくとも、自分について奢らず、人を馬鹿にしたり、冷たく振る舞う人間にはならないよう生きていきたいです。
自分がしんどい状態にいるときは、自分だけを責めたり、やみくもにポジティブであろうとして事実をゆがめるのではなく、客観的、俯瞰的に眺めて、状況によっては、fight or flight の選択を取れる自分でありたいです。(fight or flight、難しいんですよね)
なんか、雨にも負けず、、みたいになってきた(;^_^A
去年のちょうど今頃自分がそういう体験をして、最近もそういう状況を(今回は自分ごとではないけど)見聞きして、環境要因について考えてみたところです。
今日はこの辺で~
この後、葉っぱの練習をしようかな?